京の手ぬぐいコレクション

西国三十三所の観音霊場には必ず「ご詠歌の手ぬぐい」があります。
十五番札所の今熊野観音寺は、朱塗りの鳥居橋と本堂の絵柄にご詠歌の入った
素朴な味わいの手ぬぐいです。
ご詠歌
昔よりたつとも知らぬ 今熊野
仏のちかい あらたなりけり

狩野探幽筆 「八方睨みの巨龍」
「雲龍図」絵馬と同様に、妙心寺の宿泊施設「花園会館」の売店で買い求めた手ぬぐいです。
いままでの素朴な趣の手ぬぐいとは全く違い、リアルな画像がそのままプリントされた手ぬぐいです。
禅宗の法堂の天井は、板が一面に張られた鏡天井となっていて、そこには必ず丸龍が描かれています。
古来より龍は仏法を守護する瑞獣、この法堂の空間を守る大切な役目を果たしているのだそうです。

京都市街のほぼ中心にあたる烏丸通六角を東へ入ったビルの谷間にある六角堂。
本堂が六角宝形造りとなっていることから通称「六角堂」と呼ばれ多くの人に親しまれています。
正しくは頂法寺(ちょうほうじ)といいます。
六角堂の創建はたいへん古く、平安遷都以前に聖徳太子が建立したとされています。
(ご詠歌)
わがおもふ こころのうちは むつのかど
ただまろかれと いのるなるけり
社務所で売っていた御詠歌手ぬぐいは、素朴でいい味をだしていると思います。

松尾芭蕉がもっとも信頼を寄せていた門弟のひとり
向井去来が結んだ庵として知られる「落柿舎」
のどかな嵯峨野の田園風景の北側に
ぽつんと小さな茅葺の庵が佇んでいます。
嵯峨野めぐりには欠かせない観光スポットのひとつです。
オリジナル手ぬぐいを見付けました。
柿主や こずえはちかき あらし山 去来
松尾芭蕉も何度かこの庵を訪れています。
「嵯峨日記」はこの庵で誌したといわれています。
「嵯峨日記」の最尾の句
五月雨や 色紙へぎたる 壁のあと 芭蕉

久々に中高年の娯楽の殿堂「祇園会館」で映画を見てきました。
邦画の二本立てで、「はやぶさ」と「奇跡」でした。
祇園会館は、以前は映画館でしたが、去年から平日の夜と、土日は
よしもとの芸人さんによる興業がおこなわれています。
売店にこんなものが売っていたのでつい買ってしまいました。
清水寺や八坂の塔、金閣寺が描かれていますので、祇園花月のオリジナルグッズに相違ありません。
あれ~~~!大文字の「大」の字が「笑」になってる・・・(笑)
知恩院さんの三門(国宝)は木造の門としては世界最大スケールを誇ります。
三門とは、「空」、「無相」、「無願」という悟りに通じる「三解脱門」という意味。
元和7年(1621)に、徳川二代将軍秀忠により建立されました。
「国宝 三門手ぬぐい」を見つけました。
除夜の鐘でおなじみの大梵鐘と七不思議のひとつ「忘れ傘」が描かれています。

承天閣美術館は相国寺の境内の北東にあります。
相国寺は室町三代将軍、足利義満による建立、京都五山のうち第二位という格式の高い禅寺です。
金閣寺と銀閣寺が、相国寺の山外塔頭であることから、金閣、銀閣にまつわる文化財や美術品もたくさん収蔵されていて、とても見応えのある美術館でした。
またこの寺は、江戸時代中期の画家「伊藤若冲」と縁が深く、若冲の作品も多数展示されています。
若冲は京都の錦小路の青物問屋の長男に生まれながら、弟に家督をゆずり、生涯絵と向き合った人。
←「承天閣美術館」のオリジナルグッズ 若冲の「昇鯉図」手ぬぐい
黄河上流の「竜門」という急流を登りきった鯉は昇天し、龍になる
という「登竜門」の故事にちなんだ絵だそうです。
若冲ファンには堪えられない一品ですね。

千本釈迦堂の本堂は洛中で最古の木造建築物として知られ、国宝に指定されています。
十二月の「大根炊き」が有名なこの寺は西陣の町並みに馴染んだ庶民的なお寺です。
おかめさんのかわいい手ぬぐいを見つけました。(最近手ぬぐいマニアになりつつあります。)
この寺に伝わるおかめ伝説
この寺の本堂の造営を任された棟梁、長井飛騨守高次は主柱の寸法を誤って短く切り落としてしまい困り果てていました。これを見た妻のおかめは上部を枡組みによっておぎなえばとの考えを夫に勧めました。かくて工事は無事すすみ上棟式が盛大に営まれることになりました。
しかし「妻の機転に救われたと世間に知れたら、夫の名声に傷がつく」と上棟式を待たずにおかめは自害してしまったのです。嘆き悲しむ高次は亡き妻の顔や優しい心をお面に彫り込み、三本の扇子とともに棟札の上に掲げて、おかめの徳を賛えました。
上棟式にお多福面や扇子を揚げる慣わしはこの故事からきているものだそうです。
しげ爺さん
しげ爺さん