しげ爺さんの京都つれづれ

のほほ~んとみほとけなど見て歩く今日この頃のこと

京の昔語り

善光寺堂  「首振(くびふり)地蔵」

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清水寺の仁王門に向かって左側にある善光寺堂の敷地内に、
「首振地蔵」と呼ばれる地蔵さんが祀られています。
御影石でできていて、高さは五十センチほど。普通の地蔵なら動かないはずの首が左右に360度回ります。






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願い事のある方向に首をまわして拝めば願いがかなえられるといわれ、江戸時代以来、庶民の厚い信仰をあつめています。









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今の首振地蔵は「二代目」
江戸中期につくられたとされる「初代」は、回しすぎて磨り減ってしまったそうです。二代目の背後の格子戸の中にあります。









京の昔語り 弘法大師を救った「矢取地蔵」

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             「矢取地蔵」は東寺の西、羅城門跡の隣に今も大切に祀られています。

時は平安初期、嵯峨天皇の命で造営された東寺と西寺は、その勢力を互いに競っていました。
東寺には今に続く真言宗の開祖・空海がおり、一方の西寺には守敏(しゅびん)という僧がいました。
 ある年のこと、日照りが続き人々が飢えと渇きに苦しんでいたので、淳和天皇は空海と守敏に神泉苑で雨ごいを命じました。先に守敏が祈念しましたが、雨は一向に降りません。対して、空海が願をかけると三日三晩にわたって雨が降り続き、見事人々を救ったのでした。腹の虫が治まらない守敏は、羅城門近くで空海を待ち伏せて矢を放ちます。その時、お地蔵さまの化身が現れて身代わりに矢を受け、空海は難を逃れました。

そのお地蔵さまは「矢取地蔵」と呼ばれ、いまでも人々の信仰を集めています。

京の絵馬めぐり 「蛸薬師堂(たこやくしどう)」 たこの絵馬

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蛸薬師堂は、中京区の賑やかな新京極商店街のその名も「蛸薬師通り」にある小さなお寺です。
その昔この寺に善光という親孝行な僧侶が住んでおりました。
善光は戒律に背いて病気の母のために蛸を買って帰るところを町の人に見とがめられました。
「僧侶の身でなまものを買うとは何事だ!」とばかり箱を開けるよう求められたのです。
善光は薬師如来に「お助けください」と一心に念じました。
すると不思議なことに、蛸の足が八巻の妙法蓮華経に変わり、この難局を逃れられたといいます。
その後、母の病気も全治し、これは親孝行の僧侶を守った本尊の霊験であるとして、本尊の薬師如来を蛸薬師というようになったと伝えられています。


京の野仏 北白川 「太閤さんの石仏」(子安観音)

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今出川通りの北側、大津に通じる「山中越え」といわれる街道の起点となる場所に2mもある巨大な石仏が祀られています。その巨大な石仏は鎌倉時代中期の作とされ、地元では子授けや子どもの成長を守る観音として信仰を集め、「子安観音」の名で親しまれています。
太閤秀吉が気に入り聚楽第へ移したものの、夜な夜な「里へ帰せ」と呻き続けたので元に返したという伝説もあります。磨滅、欠損激しく保存状態は決して良いとはいえませんが、なんとも微笑ましく、心癒されるお姿です。

地を染める無数の落ち椿 大原 「花尻の森」

花尻
大原の里「三千院」に向かう途中、バスを「花尻橋」で途中下車、 「花尻の森」を覗いてみました。

ここには大きな藪椿の木が群生しており、この季節には地面にひろがる無数の落ち椿の光景を見ることができます。



花尻 (2)
期待どうりの光景でした。
落ち椿の風情など誰も関心がないのか、ひと気はまったくありません。

木にはまだ沢山の藪椿の花がついていて、まだまだこの光景は続きそうです。
大原の里を訪れる際には是非覗いてみてください。


花尻 (3)この地に伝わる「おつう伝説」

この地に若狭の殿様に見初められ嫁いだもののすぐ飽きられて捨てられてしまったおつうという娘がいました。悲しみのあまり大原川に身を投げたおつうはその姿を大蛇に変えたのでした。

ある日、都入りする殿様の行列が花尻橋にさしかかったところをこの大蛇が襲いかかり、家来により切り捨てられてしまいます。

その夜からこの地は酷い天変地変に見舞われました。恐れおののいた里人たちは、大蛇の尻尾を「花尻の森」に埋めておつうの霊を鎮めたということです。

龍馬の刻んだ伝言 「武信稲荷神社の榎」

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武信稲荷神社は中京区の三条商店街の中ほどの少し南の地にあります。

境内に樹齢約850年、高さ約 23m、幹周り約4mという榎の巨木があり天然記念物に指定されています

武信稲荷社の南には幕府直轄の六角獄舎があり、幕末の勤王の志士が多数収容されていました。
その中に坂本龍馬の恋人おりょうの父が勤王家の医師であったため捕らえられていたのです。
先に様子を見にきた竜馬は、後に訪ねてくるに違いないおりょうへの伝言にこの大きな榎の幹に「龍」の字を彫ったと伝えられています。



CIMG3459離れ離れになっていた龍馬とおりょう
自分は今も生きている。そして京都にいる。」という龍馬からおりょうへの愛の伝言であったのかもしれません。
龍馬が京都にいることを知ったおりょうは二人の共通の知人を訪ね、それにより二人は再会できたといわれています。



路地奥の魔界スポット 「鉄輪の井」(かねわのい)

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下京区堺町通松原下る鍛冶屋町にあります。
この格子戸の奥、細長い露地の突き当りにある小さな神社が、命婦稲荷社
(みょうぶいなりしゃ)です。

そして、神社の傍らにある井戸が「鉄輪の井」として知られる伝説の井戸なのです。


誰がこんな細い路地奥に伝説の遺跡があるとと思うでしょうか?







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伝説
その昔、ある女が、自分を捨てて後妻を娶った夫を恨んで、夫とその後妻を呪い殺そうと、毎夜貴船神社で丑刻詣(うしのこくまいり)をしておりました。

鉄輪を頭にのせ3本の足に火を灯しその形相は鬼と化していました。

しかし哀れこの女は満願成就の日を前に過労から力尽きてこの「鉄輪の井」の辺りで亡くなったということです。
このような言い伝えから、「鉄輪の井」は「縁切り井戸」として、井戸水を汲んで相手に飲ませると、悪縁が切れるとの俗信が広まり、遠くから井戸水を汲むために来る者もあったということです。(もう井戸は枯れています)

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