しげ爺さんの京都つれづれ

のほほ~んとみほとけなど見て歩く今日この頃のこと

京の昔語り

京のみほとけ 「丈六さん」 戒光寺

戒光寺2

                          「お身代わりのお釈迦様」
泉涌寺道の総門をくぐりり、もう少し泉涌寺方向へ進むと塔頭の「戒光寺」が左手にみえてきます。
本尊の釈迦如来立像は鎌倉時代の仏師 運慶・湛慶親子の合作。通称「丈六さん」と呼ばれ親しまれています。
身長一丈六尺(約5.4m)、後背部をいれると約10mにもなるおおきなおおきなお釈迦さまです。
首の辺りに見えるどす黒い滲みは血の跡とされ、暗殺されそうになった後水尾天皇を身代わりになって助けた時についたものと言われています。
このことから悪しきことのお身代わりになってくださる頼もしいほとけさまとしていまでも広く崇められています。

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元祖にしん蕎麦 「松葉」

P1010222蕎麦屋さんでは定番メニューの
にしんそば」。
この「にしんそば」は明治の中頃、四条の南座のすぐとなりにある「松葉」という蕎麦屋で生まれました。考案者は
二代目、松野与三吉。海から遠い京の都でも食べられていた干し魚のタンパク源をうまく取り入れられないかという考えから、にしんとそばの組み合わせに成功しました。

sjPBi2JPuwmC_ttそして「にしんそば」と名付けて売り出したところ、その絶妙の風味が評判となり、京都内外に広まっていったのだそうです。
贅沢にもにしんの半身の甘露煮が横たわる京都名物「にしんそば
若いときはあまり好きではありませんでしたが、歳とともに大の好物になりました。
京都の家庭では年越しにも「にしんそば」を食べるのが一般的です。

伏見人形 「饅頭喰い人形」

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伏見人形は、桃山時代末頃から伏見の城下町や伏見稲荷の土産物として作られていた郷土玩具で、全国の土人形の元祖とも言われています。
伏見人形を代表するのがこの「饅頭喰い人形」です。
ある人に「父親と母親と、どちらが好きかい?」と尋ねられた子供が、手にした饅頭を二つに割り、「おじさんはどちらの方がおいしいと思うの?」と反問したという中国の故事にならって作られたもの。このような賢い子にあやかれるようにとその昔大流行したのだそうです。
京都の和菓子屋さんなどでたまに目にすることができます。たしか俵屋吉富さんの「京菓子資料館」のコレクションのなかにもあったように思います。
←左の画像は錦市場にある「畑野軒老舗」さんに飾ってあった「饅頭喰い人形」を撮影させていただきました。

四条新京極 「染殿院」の言い伝え

DSC01277夢窓國師を助けたお地蔵さん

夢窓國師が苔寺の作庭に没頭していたとき、ひとりの僧が忽然と現れ、大石を自由に動かして國師の意のとおりの庭園を作るのを手伝いました。

國師は歓喜してこの僧に自ら着けていた袈裟をお礼に贈りました。

僧はこの袈裟を受けると、持っていた錫杖を地に立てたまま消え失せてしまいました。

後日、國師が四条辺りを托鉢したとき、たまたま染殿地蔵堂に詣り、御扉を開けたところ、先の袈裟が地蔵菩薩の肩にかかっており、持っている筈の錫杖がないではありませんか。

國師はあの時の僧が紛れもなくこの地蔵の化身であったことを知り、感激の涙にむせんだということです。

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←四条通りから「染殿院」に入るには、甘栗の老舗「林万昌堂」の店中を通過しなければなりません。
東の新京極側からは半間ほどの細い通路が通じています。
本尊の染殿地蔵は、ご開帳がなんと50年に一度という秘仏です。
つぎのご開帳はいつなのでしょうか?

新京極 誓願寺 「和泉式部の茶ふきん」

DSC01289新京極六角にある誓願寺は浄土宗深草派の総本山です。
   「誓願寺と女人極楽往生」
娘に先立たれた和泉式部はその悲しみから世の無常を感じ、この誓願寺に48日間こもって一心に念仏をとなえました。すると霊夢に老尼が現れて「念仏をとなえれば女人の往生も間違いなし」とのお告げがありました。
式部は尼となって庵を結び、そこでめでたく往生したのです。この庵室が「誠心院」であり、いまも誓願寺のすこし南に現存しています。
この茶ふきんの絵は、誓願寺に伝わる「誓願寺縁起絵巻」から極楽の菩薩となった和泉式部の姿を忠実に写したものだそうです。

今熊野観音寺 その2 頭痛封じ 「枕宝布(まくらカバー)」

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頭痛封じ、ぼけ封じ、ご祈祷済 枕宝布(まくらカバー)
頭痛、ぼけ、とも心当たりあり、躊躇なく購入しました。

後白河法皇頭痛封じ霊験記

源平争乱などの不安定な世情にあった平安後期、ご心痛の多かった後白河法皇には、激しい頭痛の持病がありました。そこで、頭痛封じの観音さまとして評判の高かった今熊野観音に頭痛平癒のご祈願をされたところ、ある日の夜に法皇の枕元に観音様が現れました。
そして法皇の病める頭に向けて光明をお差しかけ下さいました。

すると永年苦しんでこられた頭痛が、不思議にもたちまちに癒えてしまいました。
法皇は今熊野観音を頭痛封じの観音としてさらに天下に知らしめ、益々篤く信仰されるようになりました。

知恩院を守る白ぎつね 「濡髪(ぬれがみ)大明神」

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「濡髪大明神」は、知恩院の広大な境内の北東の地にひっそりと佇んでいます。

江戸初期、知恩院32世の霊巖(れいがん)上人の枕元に濡れた姿ですすり泣く童子が現れました。童子は、昔から境内に住んでいた白キツネで、御影堂が建設されたために棲家をなくしたといいます。あわれに思った上人は、童子のためにねぐらをつくってやりました。後日再び現れた童子は、お礼に知恩院を火災から守ることを誓い、その証拠に御影堂の軒下に傘をおいていきました。

これが有名な知恩院七不思議のひとつ御影堂軒裏の「忘れ傘」だと言い伝えられています。

上人はその童子を濡髪童子と名づけ、濡髪大明神としてお祀りしたのだそうです。


京の昔語り 宗旦狐(そうたんきつね)

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上京区の相国寺の境内の一隅にひっそり佇む「宗旦(そうたん)稲荷」

千利休の孫に当たる宗旦に姿を変えて人々の前に現れたという「宗旦狐」が祀られています。
相国寺塔頭の茶会で宗旦になりすましたこのキツネが点前を披露しているころに、宗旦本人が遅れて入ってきて、その見事な点前に感じ入ったといわれています。
ほかにも、托鉢(たくはつ)の列に加わったり、囲碁の相手をしていたといった微笑ましい逸話が数多く語り継がれています。

千本釈迦堂(大報恩寺) 「おかめ百福手ぬぐい」


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千本釈迦堂の本堂は洛中で最古の木造建築物として知られ、国宝に指定されています。
十二月の「大根炊き」が有名なこの寺は西陣の町並みに馴染んだ庶民的なお寺です。
おかめさんのかわいい手ぬぐいを見つけました。(最近手ぬぐいマニアになりつつあります。)
この寺に伝わるおかめ伝説

この寺の本堂の造営を任された棟梁、長井飛騨守高次は主柱の寸法を誤って短く切り落としてしまい困り果てていました。これを見た妻のおかめは上部を枡組みによっておぎなえばとの考えを夫に勧めました。かくて工事は無事すすみ上棟式が盛大に営まれることになりました。
しかし
妻の機転に救われたと世間に知れたら、夫の名声に傷がつく」と上棟式を待たずにおかめは自害してしまったのです。嘆き悲しむ高次は亡き妻の顔や優しい心をお面に彫り込み、三本の扇子とともに棟札の上に掲げて、おかめの徳を賛えました。
上棟式にお多福面や扇子を揚げる慣わしはこの故事からきているものだそうです。

 

三年坂(産寧坂) 「瓢箪屋」

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清水寺に至る賑やかな参道のひとつ「三年坂」

「三年坂で転ぶと三年以内に死ぬ」いう言い伝えがあります。
万一転んだら、坂下にある瓢箪屋」で瓢箪を買って帰れば、その難を逃れられるとも言われています。

そればかりか、「清水さんに参詣するたびに瓢箪を買い、六個集まれば満願成就」という言い伝えまであるそうです。商売上手にも程があると思うのですが・・・

もともとは清水寺の参詣に訪れる人の水筒用として売られていたものが、いつのまにか縁起物として売られるようになったようです。
猫好きの店主さん、最近は瓢箪よりも猫グッズをたくさん置いておられます。




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