
東山区縄手通三条南入るにある「ちんぎれや」
明治35年創業の古代珍裂商は、古い町家のほのぼのとした佇まいを残しています。
江戸時代~明治時代の古い「きれ」や反物を扱うお店。
このような商いが成り立つのも京都ならでは。
手芸材料として使ったり、古い端裂をそのまま額に入れてインテリアにしてみたりと楽しみ方はさまざまです。

専門的価値の高い古代珍裂を使った巾着や、がま口などのオリジナル小物もショウケースに並んでいて見るだけでも目の保養になります。
のほほ~んとみほとけなど見て歩く今日この頃のこと
江戸中期ころまで、そば打ちは菓子屋の仕事であったといいます。なぜならば菓子屋には粉を扱う技術と道具が揃っていたからです。それが江戸時代中期以降、蕎麦屋は蕎麦屋、菓子屋は菓子屋と別れて発達していきました。
ところが京都には今でも蕎麦屋と菓子屋の双方を営む老舗があります。元禄時代創業の河道屋はそのひとつ。そばの部門が「晦庵河道屋」、菓子の部門は「総本家河道屋」と分かれていますが経営母体は同じです。菓子はそば粉を用いた「蕎麦ほうる」一種類のみです。子供のころから「そばぼうろ」はおやつとしてよく食べていて、なじみ深いお菓子です。
四条の花見小路を北に上がったところに、それはそれは可愛らしい京履物のお店があります。
その名も 「ヽや」と書いて「ちょぼや」とよみます。
舞妓さんのこっぽりや草履を扱っているお店だそうです。
祇園町らしいほのぼのとした佇まいがとてもいいのです。
http://habijiji.cocolog-nifty.com/sampo_/2010/12/post-0015.html
↑ こちらのサイトに原田泰治画伯の描いた「ちょぼや」さんの絵があります。
比べてみてください。30年以上も前の絵だそうですが、よ~く見るとわたしの撮った画像にも、画伯の描いた絵とおなじように店番をしているおじちゃんが写っています。
問屋町通りを「晴鴨楼」からさらに南に歩いていくと、豪商「柏原家」の風格ある町屋造りの旧邸が見えてきます。
1645年現在の場所に居を構えた柏原家は、扇子や小間物の行商から始め、木綿や漆器などにも商売を広げ、巨大な富を築きました。
明治時代に、柏原家は東京へ移住しましたが、残された町家の文化を多くの人々に伝えるべく、
「洛東遺芳館」として春と秋の年2回公開されています。
残念ながら今の時期は非公開ですが、外観を見るだけでも江戸時代の豪商の面影を偲ぶことができます。
行商人や清水寺などへの参拝者らを泊める旅籠として1831(天保2)年に創業されました。
「晴れた鴨川のほとりに立つ楼閣」という意味があるそうです。
中庭の見える和室、高野まきを使った大浴場、大正ロマンの薫る応接室など、木造家屋のぬくもりがあふれる老舗旅館として多くの人に愛され続けています。
御所の西、中長者町通と新町通の西北角に位置する「澤井醤油本店」
創業は明治十二年、京町屋のどっしりとした店構えと白壁の土蔵の佇まいがその歴史を物語っています。
国産の原料と昔ながらの手法・道具を使った醤油造りを続けており、頑固に守りつづけた味を今に伝えています。
一度出来上がった生の醤油に、再び大豆と小麦を入れて熟成させた「二度熟成醤油」は、二年の熟成期間を費やした逸品です。
「孝太郎の酢」は西陣の裏千家の本部の少し東に位置します。
創業以来約170年に亘りお酢一筋に商いをしてきた老舗です。
お酢に適したこの地の名水と、厳選した国産米を使用して、伝統的な製法を守られています。
こちらの酢は添加物を使わず、自然のまま半年から一年の間も熟成させた本物の醸造酢です。
店舗は昔ながらの町家造り、内部は歴史を感じさせる大黒柱や梁があり、京都市から歴史的意匠建造物の認定を受けています。
しげ爺さん
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