丹後半島の東端にある伊根町、
湾に沿って230軒あまりの舟屋が立ち並んでいます。
舟屋は、母屋から道路を挟んで海際に建てられ、1階には船揚場、作業場などがあり2階は生活の場、客室、民宿等に活用されています。
かもめの群れと戯れながら遊覧船から見た舟屋の風景はどこか懐かしく、日本の原風景的詩情を漂わせていました。
のほほ~んとみほとけなど見て歩く今日この頃のこと
丹後半島の東端にある伊根町、
湾に沿って230軒あまりの舟屋が立ち並んでいます。
舟屋は、母屋から道路を挟んで海際に建てられ、1階には船揚場、作業場などがあり2階は生活の場、客室、民宿等に活用されています。
かもめの群れと戯れながら遊覧船から見た舟屋の風景はどこか懐かしく、日本の原風景的詩情を漂わせていました。
問屋町通りを「晴鴨楼」からさらに南に歩いていくと、豪商「柏原家」の風格ある町屋造りの旧邸が見えてきます。
1645年現在の場所に居を構えた柏原家は、扇子や小間物の行商から始め、木綿や漆器などにも商売を広げ、巨大な富を築きました。
明治時代に、柏原家は東京へ移住しましたが、残された町家の文化を多くの人々に伝えるべく、
「洛東遺芳館」として春と秋の年2回公開されています。
残念ながら今の時期は非公開ですが、外観を見るだけでも江戸時代の豪商の面影を偲ぶことができます。
中京区、柳馬場通と押小路の南西角に京蒲鉾の老舗「茨木屋」の風格ある建物があります。
屋根の上にのっている看板の「蒲鉾」の字は幕末から明治初期にかけて活躍した書家で詩人の江馬天江によるものだそうです。
明治2年創業という建物はくすんだ黒壁が独特の雰囲気を醸しだしています。
大正・昭和天皇の即位の大典の折、儀式に使われる料理に同店の蒲鉾が使われたとか。
ここの蒲鉾を私はまだ食したことがありません・・・
明治・大正期に活躍した七宝家・並河靖之の邸宅は、平安神宮から神宮道を南下、三条通りの少し手前の細い通りを西に入ったところにあります。
明治27年に建てられたもので、京町屋特有の表屋に御殿造の主屋が続く珍しい構造です。
国の登録有形文化財に指定されています。
しげ爺さん
しげ爺さん