
左京区の一乗寺清水町のバス停の西側にある住宅街の一角に「柊社」
(ひいらぎしゃ)という小さな神社があります。鳥居には「柊の宮」と書かれていました。
小さな社を取り囲むように4本の桜の巨木がいままさに満開のクライマックスをむかえていました。
うわ~~っ!凄すぎる・・・
あまりの美しさに茫然自失

観光客など無縁の静けさです。
だれにも内緒にしておきたいような場所でした。
こちらも淺山泰美さんのエッセイのなかに書かれていた美しすぎる桜スポットのひとつです。
のほほ~んとみほとけなど見て歩く今日この頃のこと
神山や大田の沢のかきつばた
ふかきたのみは 色にみゆらむ
常照皇寺は京都市の北郊、京北地区の草深い山中にあります。
南北朝時代に北朝初代の天皇となった光厳上皇が出家した後、この地を訪れて庵を結んだのが始まりとされています。
方丈の屋根は茅葺、山寺独特の風情を感じますが、皇室ゆかりの寺だけに気品と風格につつまれています。
国の天然記念物である「九重桜」は満開となり散り始めていました。
御所から株分けしたといわれる「左近の桜」、一重と八重が一枝に咲く「御車返しの桜」などの名木もありますが、こちらはまだつぼみが多く、身頃はまだ先のようです。
仁和寺の「御室桜」は樹高が低く、根本から湧き上がるようにひと重の白い花を咲かせます。
京都の春の終わりを飾る遅咲きの桜として知られており、沢山の見物客で賑っていました。
昨夜の雨と強風にもかかわらず、満開の花を保っていました。
起源は平安時代まで遡りますが、現在の桜は江戸時代初期に植えられたものだそうです。
この地に若狭の殿様に見初められ嫁いだもののすぐ飽きられて捨てられてしまったおつうという娘がいました。悲しみのあまり大原川に身を投げたおつうはその姿を大蛇に変えたのでした。
ある日、都入りする殿様の行列が花尻橋にさしかかったところをこの大蛇が襲いかかり、家来により切り捨てられてしまいます。
その夜からこの地は酷い天変地変に見舞われました。恐れおののいた里人たちは、大蛇の尻尾を「花尻の森」に埋めておつうの霊を鎮めたということです。
しげ爺さん
しげ爺さん