清水寺の帰り道、三年坂から二年坂をうろうろ
あのおばあちゃんはまだいるのかな?覗いてみました。
大正時代から続く甘味屋さんの「かさぎ屋」
竹久夢二がよく通っていたことでも有名です。
おっさん独りで入るにはちと抵抗がありますが・・・
入っちゃえ~!アベック一組以外は女性客ばかりでした。
さすがにあのおばあちゃんはもういませんでした。
十坪あるなしの店内は年季の入ったテーブルや椅子が
レトロです。
定番の「三色萩乃餅」を注文しました。
こし餡、粒餡、白餡、の三色おはぎ
上品な味ですが三年坂の「イノダ」でステーキサンドを食べたばかりなのでおはぎ三個は甘党のわたしでも少々
キツイです。ゲップ

いまでもけっこう人は多いです。
仁王門をくぐると三重塔がありその右手に随求堂があります。
大悲母のお腹の中へ一度戻ってみませんか?
~暗闇の中であなた自身の光を感じてください~
という「胎内めぐり」はしたことがないので、100円払って体験することに。
本尊の大隋求菩薩の胎内にみたてられた真っ暗な御堂の下に降りていきます。闇の中を左手に大きな数珠を辿りながらお詣りします。
これってお化け屋敷より怖ええぞ~~!


そろりそろりとしばらく行くとぼんやりと明るい隋求石が見えてきてやっとひと安心です。

この石を三回まわして拝むと願い事が叶うそうです。
シンボル文字は梵字のハラです。

うちの婆ちゃんが具合が悪くなると必ず「くぎぬきさんに連れてって」と言う地蔵様です。
願いが叶うと奉納される釘抜きと八寸釘の絵馬がお堂の周りを埋め尽くしています。
巣鴨のとげぬき地蔵さんほどではありませんが、庶民の厚い信仰を集めていて、平日でも次から次へと絶え間なくお参りの人が訪れています。
千本通りには、我が家の御用達「五辻の昆布」さんや、漬物の「近為」さんがあり、とても楽しみな界隈です。

千本ゑんま堂(引接寺)
釘抜さんよりもう少し北、千本通りの西側にあります。
小野篁の開基ともいわれ、大迫力の閻魔王さまが本尊です。
ゑんま様は死んでしまった人間を、あの世のどこへ送るかを決める役目を担っていて、怒りの表情で地獄の恐ろしさを語り、嘘つきは舌を抜くぞと説いてくださるのだそうです。
庶民的な千本商店街にあり、暮らしに根付いた信仰をあつめる釘抜さんと千本ゑんま堂は、京都らしい優雅さはありませんが親しみのもてるパワースポットです。

左が紫式部の墓
堀川北大路の交差点を少し南に下がった西側にありました。小野篁には昼は朝廷に勤務し、夜は閻魔様に仕えていたという伝説がありますが、なんで紫式部の墓と寄り添うように並んでいるのでしょうね?
そういえば小野篁が創設した「千本閻魔堂」にも紫式部の供養塔がありました。二人の間に不思議な関係があったのかもしれません。

京都にも近年スーパー銭湯なるものが次から次へといっぱい誕生しましたが、昔ながらの下町の銭湯は衰退の一途です。
ところがどっこい「船岡温泉」は昔ながらの銭湯でありながら日本最強といわれ、銭湯マニアには超~有名らしいです。大正時代の料亭「舟岡楼」がどういうわけか銭湯になったのだとか。外観を観ただけでも十分風格が感じられますが、内部はもっともっと凄いらしいです。天井の極彩色の天狗の彫り物とか、欄間の透かし彫りとか、カラフルなマジョリカタイルなどなど(すんません、すべて受け売りです)
有形文化財に指定されているのですから、もう入湯するしかない・・・でも営業は午後3時からでした。
残念、また来ます。

西陣さらさ
船岡温泉のすぐ近く、おなじ鞍馬口通りにあります。
こちらは「藤ノ森温泉」という銭湯がカフェになったのだそうです。
ランチはここでと思っていたのですが、時間が早すぎたのかクローズの看板が・・・またまた残念
入店は次回持越しです。

松本清張や夏目漱石の小説にでてくる「いもぼう」で有名な平野家本店です。円山公園の北東にあります。
去年の暮れにNHKで松本清張の「顔」が放送されましたが、ここで撮影されたシーンがあったのを思い出し、食べてみることにしました。
芋と棒鱈の炊き合わせは京都の家庭料理の定番です。我が家でもおせち料理には欠かせない一品です。
あえて外で食べる料理でもないので、いままで平野家さんには入ったことがありませんでした。

ちょっと奮発して湯豆腐ともう一品がついた
「いもぼう湯豆腐セット」3675円を注文しました。
左の椀ものがメインの「いもぼう」です。
けっこう大きな海老芋が2個、そのうえに棒鱈がのり、ゆずの皮の千切が添えられています。
海老芋はほくほく、しっかりした味付けで、家庭の味とはやはりひと味違うなと思いました。美味しいです。
でもメインは「いもぼう」なんですから、基本メニューの
「いもぼう御膳」2520円で十分かと思います。

今出川通りと平行にしばらく西方向に進んだ後、北白川の住宅地を北西方向に流れ、最終的には高野川に合流しています。
(↑の記載は堀川に合流が正しいそうです。訂正してお詫び申し上げます。おっくんさん御指摘ありがとうございました)
この疎水沿いも、哲学の道と同様に遊歩道として整備されているのですが、観光客はほとんどこちらには流れてきません。地域住民の生活に馴染んだ散歩道といったところでしょうか。物思いにふける哲学の道というなら、こちらの方が相応しいと私は思います。
色づきの遅かった紅葉が今見頃です。

師走に入り東山界隈はつい先日までの賑わいが嘘のように、ひっそりとしています。
青蓮院から神宮道を南下、知恩院三門前を通り、円山公園を過ぎた交差点を東にいくと長楽寺があります。
平清盛の娘、徳子が出家して建礼門院となった地
その後大原の寂光院に移ったといわれています。

庭園が望める拝観所にも、境内にも
ひと気はありませんでした。
名残りもみじの風情があり、
人がいないのでのんびりとできました。
得した気分です

「・・・木漏れ日の中からこの老木を見上げると、大きく広げた枝が優しく包み込んでくれるよう。昔からずっとここに立ち、一年中青い葉を蓄えて変わらないという安心感を与えてくれる歴史の生き証人。いつも立ち止まって心の中で挨拶します。」
小林由枝著 『京都でのんびり』より
七年前に亡くなった私の父は、
ここのお堂にに眠っています。
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