雁の寺水上勉「雁の寺」原文より
胸元につきあげてくるような、愛しさがあった。それをこらえきれないままに里子は不意に慈念を羽交いじめに抱きしめていた。
「慈念はん、あんた、かわいそうや、うち、みんなはなしきいたえ」
里子はやさしくあえぐようにいった。慈念は、ふくよかな白い里子の乳房の上へ頭をすべらせて、じっとしていた。その目はうるんだようにみえた。
里子は膝の中へ慈念をはさんだ。汗くさい慈念の頭が乳房を撫でている。激情が里子をおそった。彼女は乳房のあいだへ慈念の顔を押しつけると、「なんでもあげる。うちのものなんでもあげる」といった。
すると、慈念は急に軀ごと力を入れて、里子を押し倒した。
格子戸の外に風が出て、庭木の葉ずれがはげしく鳴った・・・

雁の襖絵で知られ、雁の寺と呼ばれている衣笠山の麓の孤峯庵。
戒律厳しい禅寺で、ただれた愛欲にふける住職と愛人。そしてその痴態を冷たい目で覗き見る少年僧。
この奇妙な三角関係が、やがてとんでもない事件へと発展していく…
水上勉の直木賞受賞作を1962年、川島雄三監督が若尾文子主演で映画化。
官能とサスペンスにあふれた文芸ドラマの傑作。